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苦心の管鍼 [か]

【苦心の管鍼】

 寛永のころの江戸に、鍼医の山瀬琢一の家の前で
 倒れうずくまる盲人がいた。家の中に呼びいれワケを聞くと
 差込がでているというので鍼をうってやったところ
 瞬く間に痛みが消え安らかに寝息を立てていた。

 目が覚めた盲人・和一によると、自分は武士の出だが病から視力を失い
 盲人となった。金はあるので食べるには困らないが
 将来を考え鍼医になろうと、江戸の有名な鍼医・山瀬琢一先生のところへ
 うかがおうとした途中であるという。

 自分がその山瀬である、と告げると早速弟子入り志願をしてきた。
 身元引受人が居ないとダメだと断るとこの家の娘が
 引受人はあとで立てればよい、まずは弟子入りを、と口ぞえをしてくれ
 晴れて山瀬の弟子となる。

 それから三年の月日が経過する。もみ療治もできツボも理解しているのに
 鍼がうまくうてない。これはきっと不器用なんであるから、
 国許へ帰れ、と師匠から暇を出されてしまった。

 流しのあん摩師でなら食べていけるだろうから、ということで
 観念して故郷へ帰る途中・・・師匠の娘に勧められ鎌倉は江ノ島の弁天様に
 お参りをする。願掛けをし満願の日の朝。松葉が足に刺さってしまった。
 刺さってしまった松葉を手に、細い管に鍼を入れれば
 まっすぐ鍼を刺すことができると気づいた和一は江戸に引き返し、
 かつて師匠の鍼医のところに来ていただんな様を頼った。

 そこで昼間は管の中の鍼をうつ練習をし夜は街へ出て
 あん摩師として働いていた。
 近所の老婆や大家の大旦那さまを治療していく中で、
 かつての師匠・琢一と再会する。そして再び弟子として琢一のもとで 
 鍼療を施すことになるが、このウワサが将軍の耳に入り、
 将軍の鍼療をしたことで褒美として何でもやると言われたので
 和一は「ひとつ、目が欲しい」と言った。

 が、目を与えるわけには行かないので将軍様、機転を利かせて
 「ひとつめ」という地名にあるお屋敷を和一に与えた。
 その屋敷で盲人の為の勉強部屋を作り、
 鍼医としてその名を天下に響かせた、というお話。
タグ:時蔵
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